ある3:私を救ってくれた人々に感謝


夫の言葉は有難く、そしてシビアであった

病院の後、私は夫に母が認知症と診断された事を話しました。

夫はその時すでに両親とも亡くしており、夫の母はガンが発覚してから1年も経たないうちに64才で亡くなりました。

認知症の事を涙ながらに話す私に、夫はこう言いました。

「死んだら終わりだから、やれる事はやってやれ。俺はお袋が死んだ後に、後悔するばかりだった。」

「お袋の様に、ガンであっという間に死んでしまうよりはいいと思う。」と。

この言葉を聞いて、私は「そうだ・・・悲しんでいるだけではダメなんだ・・・」と考える様になりました。

認知症と他の病気を比較するのは難しいけれど、とにかく、この夫の一言が私の大きな支えになったのは事実です。

 ただ・・・その後、夫からはシビアな言葉が続いたのであります。苦笑

 

 



「まだら」の時期はまだマシだぞ~

有難い言葉に感動する私に、夫は続けてこう言いました。

「”まだら”の時期はまだマシだぞ~」と・・・。

「まだら」とは何を意味しているのか?

 夫が高校生の頃、祖母が認知症になり、田舎から引き取った時には症状がかなり進行していたようです。まだ痴呆とか老人ぼけと言われていた時代です。

夜中に徘徊をして警察のお世話になったり、家族は大変苦労したそうです。

家の離れが夫の勉強部屋になっており、いつも離れにいる夫は祖母から「お向かいさん」と言われていたようです。

「オレはお向かいさんだったなぁ~」と懐かしそうに笑ってました。

 そんな夫は認知症の祖母を間近で見て来たので、症状が「まだら」に起きている時期はまだまだ有難いという事を言ったのです。

つまりは、ちゃんとしている時もあるからです。

経験者は語る、私にとってはシビアな一言でした。

母親の症状を現在まで観察し、やっと最近、この言葉の意味が理解できるようになりました。

「まだら」の時期はまだまだ本当に有難いのである!



ビール片手に泣きながら・・・みんな有難う!

私は母の認知症を親しい友人に話しました。誰かに聞いてもらわないと辛くて仕方がありませんでした。

 一人は高校時代からの親友で、彼女はお母様をガンで亡くし、脳梗塞で倒れたお父様の介護を経験していました。

海外に住んでいる彼女は、私のメールを読むと電話を掛けて来てくれました。

そして「今が一番辛い時だと思う」と言いました。

この言葉がとてもとても温かく、優しい言葉でした。

人の心に寄り添った言葉がとても有難かったです。

 

別の友人は、居酒屋でビール片手に泣きながら話す私に付き合ってくれました。お酒をほとんど飲まない友人ですが、人前で泣く私を恥ずかしがることなく、「泣きたい時は泣いた方がいいから」と言って一緒に泣いてくれました。

 

旅先で私の話をゆっくり聞いてくれた友人もいました。

彼女とは、お互いの母親を連れて一緒に海外へ旅行した事もあり、母の事を良く知っている友人でした。母を知っているからこそ、話せる相手でした。

持つべきものは友です。みんなに感謝です!!